【究極の利己主義】
霊的なことに全く関心を持っていない時のこと。
親しい友達から、
「あなたって、火中の栗を拾うよね。」と
言われることがあった。
自分でも大いに自覚するところだった。
目の前に2つの道があって、
どちらを選ぼうか迷った時、
私は、
難しいと感じる方を選ぶ傾向があった。
で、その結果どうだったかというと、
思うに大正解!
易しい問題を解くのはラクだけれど、
難しい問題を解いた時の達成感というものがあって、
病みつきになる。
「できるやる気で!」挑戦してみたら、
目の前の試練に立ち向かうのが
楽しくなったりしてしまう。
「超えられない試練は来ない」
という言葉が腑に落ちる時でもある。
このところ、聳え立つほどの壁に阻まれて、
悪戦苦闘していたけれど、
やはり、乗り越えてしまいそう。
壁の向こうでは、
私の本望としていた、
更なる新たな道が私を待ち構えている。
すべては自分のため。
それを、利己主義でなく、
究極の利己主義と私は呼ぶ。
エゴでなく、愛を基にして選ぶ利己主義。
そこは、
私がミコトから受け取った言葉、
「私は私で、あなたはあなた。
あなたは私で、私はあなた。」
に矛盾を感じない場所。
愛と自由が同じものである一元の世界。
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