【風と光と二十の私と】
悪人と呼ばれることを
怖れないだけの
精神の魂の筋力を鍛えよ。
悪人であっていいという想いが
真ん中の道に通じる。
どうしても善人でいたいと思う
その途端に
悪人になってしまう。
坂口安吾は小学校の代用教員であった頃のことを書いた「風と光と二十の私と」の中で、
ありのままの魂のありようの美しさを深く洞察している。
その澄みきった文を少し引用してみる。
『本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。子供はみんな可愛いいものだが、本当の美しい魂は悪い子供がもっているので、あたたかい思いや郷愁をもっている。こういう子供に無理に頭の痛くなる勉強を強いることはないので、その温い心や郷愁の念を心棒に強く生きさせるような性格を育ててやる方がいい。私はそういう主義で、彼等が仮名も書けないことは意にしなかった。田中という牛乳屋の子供は朝晩自分で乳をしぼって、配達していたが、一年落第したそうで、年は外の子供より一つ多い。腕っぷしが強く外の子供をいじめるというので、着任のとき、分教場の主任から特にその子供のことを注意されたが、実は非常にいい子供だ。乳をしぼるところを見せてくれと云って遊びに行ったら躍りあがるように喜んで出てきて、時々人をいじめることもあったが、ドブ掃除だの物の運搬だの力仕事というと自分で引受けて、黙々と一人でやりとげてしまう。先生、オレは字は書けないから叱らないでよ。その代り、力仕事はなんでもするからね、と可愛いいことを云って私にたのんだ。こんな可愛いい子がどうして札つきだと言われるのだか、第一、字が書けないということは咎《とが》むべきことではない。要は魂の問題だ。落第させるなどとは論外である。』
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