「今日の御魂鎮めでの御魂たちの喜びも伝わったようだね。
行列した御魂たちの中で、あなたの話がひきもきらない。
まだあなたに会って、思い出していないのにだ。」
「御魂鎮め」とは、
本来、私たち人が死を迎えた時は、
天界に帰ることになっているのだが、
中には何らかのアクシデントがあって、
地上に留まってしまう御魂がある。
すべての人の生前の計画書には、
「地上で死を迎えた時には、
速やかに天界に戻る。」と
記載されているにもかかわらずだ。
そうした御魂を一旦お預かりして
天界にお戻しするのが
私のなしている御魂鎮め。
ミコトはすべての御魂と、
地上で死を迎えた時には、
天界に戻すとの約束をしているので、
その約束を果たすため、
私かぐや姫を使っている。
だから、まずこれをお読みの皆様には、
お伝えしたい。
「地上での死を迎えた時は、必ず天界に帰る
ようにしてください。」と。
これを地上の人々にお伝えすることも、
ミコトから要請されている私の任務だ。
私は2015年夏に諏訪大社に出向き、
初めての御魂鎮めを経験した。
大変清涼感に満ちた厳かなものだった。
私は御魂鎮めとは、
なんとなく、私の方がして差し上げる立場だ
と思っていたが、
経験してみて、それは大きな勘違いで、
むしろいただきに伺ったと知った。
具体的に言えば、
御祭神である、
建御名方神(タケミナカタノカミ)
の圧倒的存在感のある意識、エネルギー、
八坂刀売神(ヤサトメノカミ)
の気品に満ちた気高い意識、エネルギー、
をいただいたのだ。
建御名方神からは、
「ミコトの言う通りにしていれば間違いない。」
との言葉もいただいた。
その時には、その意味が文字通り以上には
分からなかったが、
今は、その通りだと魂の底から思うに至っている。
これまで、地方では、
仙台から四国まで9ヶ所の神社で
御魂鎮めを行ってきた。
それと並行して近隣の寺での
御魂鎮めも経験している。
こちらは毎日で今日で396回目を数える。
上のミコトからの言葉に、
「今日の御魂鎮めでの御魂たちの喜びも伝わったようだね。」
とあるのは、その近隣の寺でお預かりした御魂様たちの
エーテルを介しての喜びを私がキャッチしていたね、
という意味だ。
その通りなのだ、私がこの「月に帰らないかぐや姫のブログ」
を立ち上げたのを知っての御魂様たちの喜びを
その日、私は感じ得たのだ。
その喜びを受けて私も喜びを返すという循環がそこに起こった。
上のミコトからの言葉に、
「行列した御魂たちの中で、あなたの話がひきもきらない。
まだあなたに会って、思い出していないのにだ。」
というのは、
近隣での毎日の御魂鎮めを始めた頃は、
1日1柱をお預かりしていたが、
どうやら、天界に戻らなかった御魂様たちの間で、
評判を聞きつけて、口コミのように噂が広がり、
もしかしたら、自分も該当するのではと思う御魂が
私が御魂鎮めをしている寺に
集まってきているらしいのだ。
自分の計画書を生まれる前の記憶を、
思い出しているわけではないのに、
かぐや姫を目にしないと、思い出さないにもかかわらず。
そんなこんなで、現在では
毎日お預かりしている御魂の数は、
1日につき、10柱以上と思われる。
それをミコトは歓迎なさっている。
地上に残ってしまった御魂を
ミコトは放置したままにしない。
必ず天界に戻すと約束したから。
話が後先になったが、
「かぐや姫による御魂鎮めにより、
天界での一切の記憶を取り戻す。」と
書かれた計画書を持つ御魂様は、
御魂鎮めの場で私の姿を見ると、
その瞬間に一切合切の天界での
記憶を取り戻すのだ。
その一瞬たるや、
言葉には尽くせないものがあるようだ。
御魂鎮めを重ねる中で、
私はお預かりする御魂様が
私かぐや姫を目にしたその瞬時の想いに触れることがある。
御魂様の深い想いを、
私も全身全霊で感じるのだ。
だから私は毎日でも御魂鎮めに向かいたいと
心の底から思うのだ。
これは私の本望の任務の一つに違いない。
私も深く敬意を表してお預かりする御魂様に向かう。
いずれ御魂鎮めについては、
詳しくお話ししたいことが山ほどあるが、
今日のところはこの辺で。
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