聖なる夢

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2013年7月
 
聖なる印象深い夢を見た。
《三蔵法師が吊り橋を馬に乗って渡っている。
一人だ。
この三蔵法師は私。
夢の中の三蔵法師に星を投げて光を放つと、
吊り橋がなくなる。
それでも空中にそのまま馬と共に在る。
金色の光に包まれて…。》
 
この夢を見た頃、
ランダムにメッセージが降りた。
それを羅列してみる。
あなたに必要なメッセージがあるかもしれない。

 

゜+.――゜+.――゜

 

天:あなたの聖なる部分に手を伸ばしなさい。
そして掴みなさい。
決して離してはならないのは、それだけです。
れをある人は真実と呼び、
ある人は本質と呼びます。
掴んだまま人生を進みなさい。
その時、あなたがあなたの色に輝くのを人々は見るでしょう。
 
・・・・・
 
天:失敗してこその成就と心得よ。
この実感を掴めば、怖れを克服するのは容易い。
その心をもって、前に進まんとせよ。
真ん中の道に至るであろう。
今朝の夫との会話はなかなかのものであった。
自力がついてきたとみた。
プラスとマイナスの話だ。
愛がエゴに飲み込まれるメカニズムだ。
相手が愛で利用しようとしているか、
エゴで利用しようとしているか、
それを見極めよ。
 
・・・・・
 
天:時満ちるを待て。
今、三角形の焦点に触っている。
(頂点を調整しているの意)
しばらく苦しいが耐えて待て。
委ねて、やれることのみやるがよし、
焦らなくて良い。
それも修行。
耐えることであるからして。
 
・・・・・
 
天:そうそういうことだ。よく読み解いた。
分かってもらえて嬉しいよ。
これでいつも私が見守っていることが分かっただろう。
一人一人に必要な気づきがもたらされるよう取り計らってある。
勿論アンズさん、あなたにも。
もう気づいていると思うが、
唯一これが正しいということはない。
「みんなちがってみんないい」それが正解だ。
常に。
疑いを捨てたらどうだろう。
もう充分疑っただろう。
みんなバラバラで美しく、
その美しさが重なり合うと、
それは得も言われぬ美しさなのだよ。
見せてやりたいが・・・。
見たいか?
ならば見れるだろう。
そういうことだ。
すべては可能と思えば可能だ。
アドバイスとしては、
目の前のことをやりなさい。
迷っていないで行動しなさい。
しかしながら、迷っていてはいけないということではない。
迷いたい者には迷わせてあげなさい。
良い悪いで判断しないということは、そういうことだ。
そうだろう?
人は皆、自分の良い悪いに、
自分の物差しで見ようとしてそこに陥る。
そう、判断、ジャッジしてしまう。
あなたも然り。
足を掬われないよう気をつけなさい。
すべての人がユニークなのだ。
個体として完全なのだ。
美しいのだ。
あなた方迷える子羊たちは、
必ず私のもとに戻ってくる。
放蕩息子のタペストリー、今日見たね。
夫にその話をするのを忘れているよ。
話してやるといい。夫
もあなたも良くやっている。
なかなかスゴイ。
すべての人間が放蕩息子なんだよ。
あなた然り。例外はない。
ぼんやり気づいているか気づいていないか、その違いだけだ。
そう麻原はヒットラーは、
いわゆる悪役を演じたということだ。
それだけ。隣の口うるさいおばさんとして登場したのではなく、
多くの人に影響を与えた悪役として、
世界に、この舞台に、登場したのだよ。
勇気ある魂だ。
最初から気づいていたろう?
地球は舞台だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
 

゜+.――゜+.――゜
 

今日の写真は、
混沌とした夢の中での聖なる美
 
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スピリチュアルカウンセリングルーム

「天空の扉」

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