アンズのつぶやき 199 【宇宙はシンフォニー 「一粒の 一音のごと 黒葡萄」】

with コメントはまだありません

_mg_6398-2-600

 

【宇宙はシンフォニー
「一粒の 一音のごと 黒葡萄」】
 
ほんの数ヶ月前のこと、
俳人でいらっしゃる友人、
浦川聡子さんの句に出会った。
 
「一粒の 一音のごと 黒葡萄」
 
この句を目にした時の衝撃を忘れることができない。
なぜなら、
一瞬の内に、
この句は、
私とコンタクトするミコトからもたらされた、
私が魂の底から大事にしている言葉、
「部分は全体のために、全体は部分のために。」
と見事に同じことを表現していると
認識したから。
 
その想いは、日を重ねても、
全く色褪せることはない。
否、それ以上に、
私の内側から、
その句が、
「一粒の 一音のごと 黒葡萄」が、
静かな響く声で囁くように私に訴えてくる。
その時の感動を独り占めしていないでと。
 
言葉の表面の連なりは、
全く違っているが、
伝えようとしていることが同じなのだ。
結論を先に言えば、
どちらも、
宇宙の在りようを表している。
 
それを敢えて私の言葉にすると、
 
宇宙はシンフォニーなのだ。
私たち人は、
地上でシンフォニーを奏でているのだ。
誰一人として、
そのシンフォニーに参加していない人はいない。
 
黒葡萄の一粒一粒は
人である私たち。
 
シンフォニーという全体のための
部分が私たち、
私たち一人一人がどうした音を奏でるかで
シンフォニーの美しさ
つまりは、
世界の、宇宙の美しさに影響を及ぼすのだ。
 
私たちは微力であるかもしれないが
無力ではない。
私たちがエゴでなく
愛を基にした選択を重ねれば、
世界を変えることができる。
 
宇宙は、
神は、
私たち一人一人を信頼している。
どんなに稚拙な音しか奏でられないにしても、
「さあ、下手でも間違ってもいいから、
今のあなたの全身全霊で奏でてごらん。
あなたの音はどんな響きかい、聴かせておくれ。」
と、どこまでも励ますのが、
真っ当な神の在りようなのだ。
 
「一粒の 一音のごと 黒葡萄」
私たちは「黒葡萄」の一粒一粒であり、
シンフォニーを奏でる「一音」「一音」なのだ。
誰もが美しいシンフォニーを
奏でたい、
奏でよう、
という想いは同じなのだ。
 
更に言えば、
私たち一粒一粒が葡萄の房を構成し、
その葡萄の房は、
葡萄の木を構成している。
その葡萄の木は、
山に自生する木々の一本として
山を構成している。
山は、
地上の一部として
地上を構成している。
地上は、
地球の一部として、
地球は宇宙の一部として、
そして、多分…、
それ以上は私にはとてもではないが、
うかがい知れない領域となるのだが、
入れ子になって入れ子になって、
曼荼羅から立体曼荼羅、
更に立々体曼荼羅、立々々体曼荼羅の如く、
限りなく壮大な世界に繋がるのではないか…。

私一人の解釈に過ぎないが、
少なくとも、
私にとっては真実だ。
 
私も稚拙であっても、
こうして自分の想いを自由に表明し、
奏でよう。
 
私たち葡萄の一粒の中心には、
種がある。
神は
私たちが内側から芽を出すのを
根気良く待っている。
それが愛だから。
 
俳句は
芸術は
私たちを魂底から変容せしめる。
こんなにも美しきものをありがとう。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です