【「月の夜を 縫いたる 金糸銀糸かな」】
アンズのつぶやき199(11/22)では、
すでに浦川さんの俳句
「 一粒の 一音のごと 黒葡萄 」
をお借りして、
私の思うところを宇宙論として
書かせていただいた。
今日はその句と同時に出会った
やはり浦川さんの句
「月の夜を 縫いたる 金糸銀糸かな」
を拝借して、
私の勝手な視点から、
あれこれ書くことをお許しいただきたい。
それまで、私は
俳句とは私の世界観を編集するかのように、
横に広げてくれるものと捉えていた。
にもかかわらず、
「月の夜を 縫いたる 金糸銀糸かな」
は、
私の身体を
私の世界そのものを、
鋭く縦に貫いた。
深く、深く、魂の深遠まで遠慮会釈なく。
それも、
一瞬の衝撃であったにもかかわらず、
満ち足りた圧倒的な心地良さを伴ってだ。
艶やかさと円やかさ、
優しさと厳しさが、
矛盾することなく統合され、
愛となって、
私の魂を射抜いた。
愛は優しくもあり、
同時に厳しくもある。
その対極の二つが
矛盾せず統合されたのが愛。
統合された真ん中の道を辿ることにより、
私が能動的に手ずから掴み取り、
自分のものしてしまおう
としているのがこの愛。
私が
瞬時に全身の細胞で、
その言わんとすることを
心から理解し得たのは、
それが啓示であるからだ。
「月の夜を 縫いたる 金糸銀糸かな」
と出会って、
数ヶ月経っても
色褪せることなく蘇るのが
啓示である証。
神の意志が、
俳句に託され、
理屈を超えて、
時間という概念すら超えて
否定しようのない力強さで
私にもたらされたのだ。
敢えてその啓示を私の言葉にすれば、
「月から読み解きなさい。
これがあなただともうあなたは分かるはずだ。
私の差し出す金糸銀糸、
あなたの差し出す金糸銀糸とで、
夜空にどんな輝きをもたらそうか!」
と、
このようになるだろうか。
また、
対立の象徴である、
アマテラスとスサノオの時代から、
調和の象徴である
ツクヨミの時代への変化を
暗示してもいる。
今、世界は終末の時代と呼ばれ、
暗闇の夜空そのものではあるが、
だからこそ金糸銀糸が
力強く関与する時なのだよと。
今日の写真は、
この句に出会う前に、
昨日の記事でご紹介した
ヒナタノオトさんで、
一目惚れして購入したショール。
このショールを目にした時も、
私は夜空の金糸銀糸を、
イメージした。
そのことも、
とても偶然とは思えない。
「月の夜を 縫いたる 金糸銀糸かな」
に出会う準備のために
私の元にやってきてくれたのだろう。
神のなさることは、
いつだって周到だから。
目には見えないが、
神の意図(糸)で、
縁が繋がっていく。
私はもう、
日々、
奇跡のただ中にいる。
今も、
そして
次の今も。
やりたいことと、
やるべきことが一致した
奇跡の中に。
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