「世界は透明なコインのようにできている。
あなたはあなた自身も透明になって、
厚み部分を歩く存在なのだよ。
そういうことだ。
どんな時も、いかなる時も、厚み部分を進みなさい。
その厚み部分こそ、表と裏を合一した真ん中の道だから。」
「世界は透明なコインのようにできている。」とは、
ミコトが私に語りかけるようになって
比較的すぐに教えてくれたことだ。
その時のミコトからの言葉を
2016年5月13日付、FBアンズのつぶやき11
【すべては空(くう)なのです。】で紹介してある。
まだ、お読みでない方、よろしければ、お読みください。
なぜミコトは透明にと言うのか、
それは、
私たちには目があるがため、
目で見えるものだけを実在と思ってしまう。
目に見えないものは存在しないと認識する習慣がある。
それは人の共通の認識の仕方なので、誰もが疑わない。
が、目で見えていないということは
何もないということではないと仮定してみると、
別の世界が見えてくる。
そして、段々に、
目で認識する習慣(観察力)とは別の認識の習慣(洞察力)を
私たちは持ちうると分かってくる。
洞察力とは物事の本質を見る力、
私たちの魂を磨くことにもつながる。
目に見える世界を超えて、
目に見えない世界を洞察する力をつけることを、
今、この時代、私たち誰もが天から望まれている。
それはとりもなおさず、神の在りように私たちが近づくこと。
自ら近づきたいと欲し行動すれば、道は開かれ、扉は開く。
そして、自ら計画してきた地上でのそれぞれの本望の道へ向かう。
だから、真ん中の道を行きなさい、
その先に本望の道があるから。
この透明と呼ばれているものは、
「色即是空」(般若心経の言葉)
の「空(くう)」のこと。
この地上世界では目に見えないが厳然と在るもの。
世界に充満しているもの。
シュタイナーの言葉では、
その空はエーテルと呼ばれる、同じもの。
意識体である私たちの意識そのものといってもいい。
「ないはある あるはない」
それを改めてこの日1/29に
ミコトの言葉としてミコトが私に繰り返した理由は、
天と地の境域を歩くまで、
細い道を辿ってきた、あなたアンズは、
これからも厚み部分を歩くことは
これまでと同じだよと私に伝えているのだ。
そのように私は受け取った。
「真ん中の道」を行くことで、
私も、更に私の本望の道に近づくことができる。
真ん中の道を行くとは、
分かり易い言葉に変えてみれば、
愛を動機に選択すれば、
偏りなく、バランス良く進めるよ、
ということではある。
真ん中の道を進むことは
霊的に自分の命を生きる上で何より大切なことなのだ。
命を何のために使うか、それを問われているとも言える。
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