「自らを誇りと思いなさい。
あなたはそうした魂なのだから。」
このミコトからの言葉を聞いた時、
私が12年前に開設したのはHP「ひたむきにアンズの庭」、
その2009年10月の庭 No.1 の秋明菊のページを思い出した。
上の写真はそのページの台風に傷ついた秋明菊の写真。
そして下は、その写真に添えた言葉。
……………………
台風の被害に遭った
満身創痍の秋明菊たち
それでも
生き切ろうと
凛と咲く
こんな姿は私じゃないと
自己卑下することなく
台風のせいだと
被害者意識を持つことなく
どんな状況をも
受け入れて
今の精一杯を咲く
誇りに満ちて咲く
「なぜ生きるかを知っている者は、
どのように生きることにも耐える。」 (ニーチェ)
……………………
この時、私はこの秋明菊のように
生きたいと思った。
誇り高く生きることは美しいと。
ニーチェが言うように、
なぜ生きるかを知れば、
たとえ、外側から見える姿がどんなであろうとも、
誇り高く生きられるだろうと思ったから。
この思いは、今も変わらない。
安きに流れず、誇り高く進むのだ。
それが私の望む本望の道、
私の道だ。
「が、しかし、まだここからが道の、
本望の道のスタート地点だ。
あなたに言うまでもないことだがね。
道は細い。
あなたには楽勝とはいえ、
道は細い。」
スタートラインに立つということは、
一歩も進んでいないということではない。
目の前には無限の可能性があるということだ。
今現在の自分でよしと認めることでしか、
スタートラインに立てない。
スタートラインに立つということは、
自分には伸び代があると認めることだ。
今のどんな情けない自分でもよしとすることは
とても勇気のいることだ。
スタートラインに立つということは、
そうした勇気ある人間なのだと
自分を認め、肯定することでもある。
それは、自分を無条件で愛することだ。
これまでの道も細かった。
ミコトはこれからも更に細いよと
言いたいのだ。
が私は
細い道だからこそ進む能動的な魂だ。
それを知って、
ミコトは、
「あなたには楽勝」と言うのだ。
私はミコトに応える。
「共に進みましょう!」と。
するとミコトは微笑んで、このように言う。
「合一点に立った。さぁ、進もうか。」と。
これまでも、これからも。
どの瞬間も、
私が立っているのはスタートライン。
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