今日は、ミコトからの
初めてのメッセージをシェアしたい。
日付は2013年3月とある。
その頃、私には私が思ったこと、考えたことを、
書き綴っていたノートがあった。
そのノートをその日、開いた時、
まだ名は知らされていなかったが、
今思えばミコトに違いない存在から、
メッセージを受け取った。
昨日アップした記事【アイスバーグからの啓示】
より、ずっと長い。
で、啓示というよりメッセージ。
以下に記載する。
゜+.――゜+.――゜
望んでも叶えられない。
時が来るまでは。
その時は、いきなりやってくる。
切望しても、渇望してもやっては来ない。
自分で考えなさい。
そうすることでしか、
自分の中心にいられません。
自分で考えるということは、
自分の中心にいることです。
すべての人が自分の中心にいる時、
宇宙の輪は完結します。
あなたにできることは、
あなたの中心にい続けること。
マルクト、ホド、ネツァックの中心
イエソドにい続けることです。
(アンズ注:マルクト、ホド、ネツァック、イエソドはカバラの用語)
バランスを取りつつ中心に向かう。
中心を決めれば、バランスは自ずと整う。
領域を超えて手を貸すと、
その他者は自分の中心を放棄して
あなたの中心に近づいてしまい、
結局のところ、
自分の中心から離れることになってしまいます。
他者の中心に敬意を払いなさい。
敬意を払われた人は、
自分の中心を生きることができるでしょう。
生きとし生けるもの、
すべてに敬意を払いなさい。
それが愛だから。
敬意を払われたものは、
自ずと自分の中心に向かい、
バランスを取り戻します。
すべての人は、
その人の中心を持っています。
手放せば、中心に向かいます。
それは、放置ではありません。
それが、信頼するということです。
騙されてもいいと、
自分が覚悟を決めることができれば、
相手が騙そうと騙すまいと関係ありません。
すべてはあなたと内なる神、
つまり私との関係のことだからです。
他者の中心は他者のもの。
愛の本質。
大変難しい課題なのです。
゜+.――゜+.――゜
このメッセージを受け取った時から、
今日で丁度4年経った。
このメッセージをただ読むことは簡単だ。
が、文字面分かったと思うことと、
心底分かることとは、大きな差がある。
ミコトの言葉を借りれば、
天と地の差がある。
「ああ、そうだよね。」と
すぐに共感をいただける方もおみえである一方、
何を言いたいか分からないと感じる方も
いらっしゃると思う。
それはそれでどちらでも全く構わない。
どちらにしても、読むたびに、
「あぁ、また更に深く分かった」と
感じていただけるはずのメッセージなのだ。
ふと思い出すたびに、
日を置いて、繰り返し、
読んでいただきたい。
「分かったぞ!」と分かる、
その時は、いきなりやってくる。
今日のうちにどうしても分かりたいと、
望んでも叶えられない。
時が来るまでは。
切望しても、渇望してもやっては来ない。
私もまだまだ、
分かりつつあるというプロセスの中にいる。
ミコトなら、ここで、
「それでいい、それがいい。」と言うだろう。
なぜなら、私たちは、
常に成長しつつある存在だから。
「分かった」としてしまうと、
そこで成長は止まる。
「分かったぞ!」という実感を
積み重ねることに成長があると言ったらいいだろうか。
「分からないことに分かるを見る」
《ないはある、あるはない》
写真は「中心にいる」のイメージ。
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